まだ受け入れられない
20080819035210
考えてしまう。
思い出してしまう。
すぐに行けなかったのが悔しい。

でもそれは、自分より日々そば居た人の方がつらく、自分で自分をひたすら責めているのもわかる。

ただただ泣いて泣いて吐き出すしかない。もう何度目かわからない。気持ちの準備があれば現実を受け止めるのは比較的容易い。でも準備の間すらなく、ふりかかる現実は受け入れるのに時間がかかる。今はただひたすら、時間が過ぎるのを祈る気持ちで、黙々と動く。

気が緩むと心の糸が切れて、押し寄せる思い出に絡み取られて身動きできなくなる。それはボク以上に日々を過ごした人の方が、つらい。

やがてこうなると頭でわかっていても、こんなに早く来ると思わなかった。

想像した不安がそのままになっても、そんな馬鹿なことがとしか思えない。いや、そういって笑い飛ばしたいんだ。

笑い飛ばしたい。
他のことに夢中になって、忘れたい。落ち着いて思い出せる頃になるまで遮二無二、他のことにのめり込むんだ。

でも会いに帰る。
小さくても若くても家族なんだもん。自分の中で整理をつけないと、ダメだ。

ああ。
信じられない。
信じられない。
信じられない。
信じられない。

残酷だ。

なんのためにもならないが、涙を枯らして自分を落ち着かせるのが精一杯。きっと幸せだった。
そう思う。
エゴでもなんでもいい。
あれだけ皆に愛されて、やんちゃで自由だったんだから、幸せだったと思わせて。
【2008/08/19 03:52】 | 携帯 | トラックバック(0) | コメント(0)
時間と空間と、各系にある任意の点の関係性
20080812235426
過ぎた時間は圧縮され、濃厚だ。圧縮率は近時間が極めて高く、遠時間では低い。これは、情報量の整理に依るもので、客観と主観の両方で行われている。従って、年月を重ねたものとそうでないものとの優劣の差は、その個体の摂取した情報量では測ることができない。個体差が大きいため、経過した時間は無関係であり、むしろ基準とすべきはその個体の習慣にある。

習慣的な生活
あたりまえの平和
退屈な日常
書き割りの世界

それっていいことじゃないか。たとえギリギリの平和でも、平和に変わりはないだろ。毎日毎日飽きもせずテレビ観て、食べたいもの食べて、欲しいもの買って、当たり前の顔してクルマ乗って、それで平和が退屈だと言うのか。それで何か想像を絶することが起きないかと期待してるのか。

平和な世に華開く文化も、競争疲れした世代に台無しか。無駄に数ばかりか。無駄に数ばっかり多いのか。常に言うだけ。弁は立つが、中身空っぽ。

言うだけいって、あとは知らん顔。

現実が因果律に支配されていることは、動物だって知ってる。

立て直しはこちらの役目。
【2008/08/12 23:54】 | 携帯 | トラックバック(0) | コメント(0)
ライブ
20080811160822

喜老人じゃなくて、ギタリストとしてソロボーカリストのサポートで、ライブのお手伝いに行ってきました。手伝いとはいえ、ボーカルとギターだけのアコースティックなうえに、バーでのライブですのでお客さんとの距離も近く、わりとシビアでした。

オリジナル三曲にカバーが三曲。終わってみたら好評で、ホッとしました。MCなんぞはしたことなかったものの、多少は喋らざるを得なかったので、さらっと自己紹介しつつメインでやってるバンドの宣伝やボーカリストが別で活動してるユニットの紹介をして、なんとか乗り越えた感じです。カバーは年配の方には懐かしい曲と、アニソンをやりましたが、奇しくもそのアニメの舞台が正しくこのバーの地元だったということもあり、年齢層のわりに知ってる人が多かったのには驚きました。涼宮ハルヒの憂鬱ってやつです。やって正解だった感触で、喜んでもらえた様子でした。

他のミュージシャンの方も、極めて個性的かつクオリティが高く、相当楽しませていただきました。笑いが止まらなかった!

終わってからはお客さんから、やってるバンドの方にも興味を持っていただけたようで、嬉しい限りです。

ボーカルのバックで弾くと、ボーカルの癖やノリを体感できますので、プレイによる表現の幅も広がることがわかりました。ボーカルの要求に応え、バックとして確実かつボーカルの気持ちを引っ張って、実力以上の表現力を具現化させるのが、楽器の役目だと思っていますので、リズムとダイナミクスに神経を使いながらボーカルの感情の動きを見ながら、抑揚をつけて、お客さんを引き込むときの快感は癖になります。緊張し過ぎはいけませんが、ある程度の緊張感をもって演奏すると、得も言われぬ一体感と達成感と解放感を味わえます。これが癖になる。このところのライブは、わりとコンスタンスにそのテンションにもっていけているので、楽しくて仕方ありません。

ほんと、百回の練習より、一回のライブ経験の方が格段に上達します。ライブの失敗はライブでしか取り返せませんので、悔しければ嫌でも反省して、挽回しようと鍛練していきます。

またこういう機会があれば、やりたいものです。縛り無く自由で、ボーカルを支えてビートを出す快感は楽しいだけじゃなくて、得るものがすごいと、改めて実感しました。この日は、深夜から別の場所でもライブしていました。
【2008/08/11 16:08】 | 携帯 | トラックバック(0) | コメント(0)
頑張ろう
20080729161042

いや、頑張るのはやめよう。
これだけ頑張ったんだから、と自分を慰めてしまう。
これだけ頑張ったのに、と報酬や結果を求めてしまう。

努力も然り。

だから頑張らない。
だから努力もしない。

ゆっくりでも、自分の感じるままを素直に受け止めて、先へ進むだけ。
ただそれだけ。

やるべきことなど、そんなに多くはない。
やらないと自分が困るからやるだけ。責任だとかプライドなどは、見方の差異。言葉の誤差の範疇にすぎない。曖昧な言葉。主観的な意味。そんなものに振り回されているんじゃない。やらねば自分が困るからやるだけ。

だから身過ぎ世過ぎの仕事に呑まれることなく進んでいくんだ。軋轢が生じたら、距離を取ればいい。

多様な価値観の中では、平均的な価値観が正義になり、感性は均一化されていく。多数決で決まる美醜は、可も不可もなく、判断力を剥奪し、芸術にすら説明を求め、想像力を使うことを知らない。

数多の軋轢や説教を聞き流していると、プライドは無いのか悔しくないのか言い返さないのかと神経を疑われる。自分には自分の世界がある。他人に理解は求めない。想像を求める。反論して説明することは、想像力の介在を排除してしまうと考える。

結局、説明にあふれた世の中で、説明がないものに対する不安感が薄気味悪さを醸し出させる想像の切っ掛けになっているのだろう。受け取りたいように受け取り、想像にまかせてイメージを膨らませて楽しんでみるのが、芸術なのではないのか。それをできるのが人間なのではないのか。芸術を大袈裟なものにしたのは、想像力が無い世間への体裁なのではないのか。

民主主義などという体のいい多数決は、皆と同じと言う安心感を持ちながらも、選良意識を満足させる姑息な社会的手段に思えてならない。

合議制と民主主義は同じものではない。市井の者として、与えられた時間と想像力を存分に使い、自分の世界を追及するのが人の人生。どこからきてどこへ行くのか。自己探求が芸術の道。恐らくは、世の中で一番、泥臭い道。汚い道。暗い道。

それが私の道。
掻き分けても掻き分けても光明などは見えない。見えないからさらにもがく。命の続く限りもがく。光が見えようが見えまいが、泥の中で己の核を見つけるまで、死に至るまで、惨めに不器用にもがき続ける。傷つき続ける。

そして、それが私の幸せ。

傷や泥や汚れは、ゆらぎとともに輝き始め、暗い道を照らし眩い光明に至る。
【2008/07/29 16:10】 | 携帯 | トラックバック(0) | コメント(0)
クレイジー
20080725215029
「あのさ、いい具合に狂ってるよな、おまえら」
天使が電柱に寄りかかりながら言った。
「何が狂ってるって?」
「おまえらがだよ」
「狂ってなんていないぞ」
目玉の無い天使はぎょろりとこちらを睨みつけた。
「狂ってるんだから、狂ってることに気付くわけないだろ、ひゃはは。おれが異常に見えるだろ。それが証拠さ」
「どこがどう狂ってるっていうんだ」
「わからないだろ。おまえら、全部だからな。世界が狂ってるのさ。正常でいられるわけが無い、この世の中」
「それでも生きているんだ。狂ってるとは酷いな」
「おれは指摘してやっただけだ。腹を立てるのは筋違いだぜ。これは親切心なわけだ。言われてもわからないほどの末期なのさ。末期になったら絶えられないからモルヒネ漬けにするだろ、ちょうどそんな感じだな」
「そこまで酷いと思うなら、あんた天使だろ、なんかしたらいいだろ」
「おれはな、こっち側へ来たやつを処分するだけだ。そっちのことは知らん。だいたい手遅れだろ。この先どこまで行くのか楽しみだぜ、おれはな」
「天使は助けてくれるんじゃないのか」
「それはおまえらが勝手に期待しただけだろ。そんなことは知ったことじゃない」

そういって天使は電柱に溶け込んで消えた。
取り残された寂寥感と、墜ちていく快楽とがないまぜになって、笑い出したくなった。どうせ狂った世の中で、狂気の淵をそぞろ歩いて次々に転落していく様を眺めている天使は楽しかろう。それを思うと笑いが止まらない。狂った世の中、まともでいるとはそういうことだ。
【2008/07/25 21:50】 | 携帯 | トラックバック(0) | コメント(0)
Eli, eli, lema sabachtani?
20080717213459
何も要らない。
だから近づかないで欲しい。時間と共に裏切りがやってくる。
裏切りを感じるのは、期待していた証。

裏切られたくなければ期待しなければいい。
そんな消極的な?

いい加減にしてくれ。いい加減にしてくれ。いい加減にしてくれ。

迫る槍の先にあるのは、次へ向かうための糸。
糸の先にあるはずの手は、そう期待しただけの妄想で
それで?
それで勝手に裏切りを感じて呪う。

あのさ、人の間はどうしても他者との関係性で自分を認識できるわけ。だって一人だったら一人ということもわからないでしょ。だからさ、その後に付随するいろんな感情なんて、おまけに過ぎないのよ。おまけなら、人より余計に多い方が嬉しいでしょ。みんなね、期待させることをわざと言ってるわけじゃないのよ。善かれと思って言ってるだけ。ただとても主観的なだけ。それに期待するのも主観的なこと。期待するんじゃなくて希望をもったら?その希望を叶えることを目標にして、言った方も言われた方も適度に努力をしたらいいんじゃない?キミタチはなににしてもいろいろこだわり過ぎね。うん、そう、こだわり過ぎ。肩書きとか世間体とか収入とか貯蓄とか格好とか、外側ばかりを。神なんていう存在を用意して勝手に期待したのは誰?人間に都合のいい存在に仕立て上げて祭り上げて期待したのは誰。都合がいいときがあれば悪いときもあるものでしょ。正負の法則なんてものじゃないわよ、これは。循環システム。それも上向きのベクトルを持つ循環システム。前のいいときを知り、次のいい時を知るときは相対基準があるから、前のそれよりも上になる。悪いときも同
じように相対基準があるから前より悪く感じる。でもいいときを慰みにするから前の悪い時より立ち直りが早い。そして全体の基準の質は上がっていくから、つまり上向きに螺旋を描く循環システムっていうイメージが正解。正負なんていったら、代償行為よ。法則なんてつけたら、普遍的になってしまう。客観的な時間はまだまだあるんだから、もっと柔軟に幅広く囚われずに考えて早く感性の怪物になってみせてよ。

そうはいっても動けないときは動けない。
動けないのは自分だけど知っていても動けない。
まるで全身を擦りむいたかのように動くとあちこちが痛い。
だから、そっと、動く。
それでも痛い。痛いと少しの動きでも疲れる。
疲れるからまた動けなくなる。
息切れして勝手に膝が崩れる。
崩れ落ちていく。崩れた滓は時おり吹き抜ける風に運ばれ蒼穹の極みへ昇る。

そしてまた戻ってくるんだ。
自分で。

ほら、身体を吹き抜ける風が気持ちいい。
ほら、全部もうどうでもいい。

こだわりを捨て
力を抜き
風に乗れば
いい。
【2008/07/17 21:35】 | 携帯 | トラックバック(0) | コメント(0)
管理したがる人
20080716152214

端的に信頼していない証拠です。建前や言いかたはともかく、管理することで相手に心理的束縛を与えて居ます。管理されるのは楽という人もいますが、私は管理されることから逃れてきている方なので、管理されだしたらとことん逃げます。ただたtだ嫌なのです。反骨精神、あるいは天の邪鬼。管理できるものならしてみろよ、とばかりにあらゆる手を使って出し抜くだけです。自分の損得は二の次なので、ただの馬鹿ですし損の方が多くなりますが、管理下にある自分は自分ではありません。大人になれなんていう諫言は世間に迎合しろと同意ですので、鼻白むばかりです。自分あるいは多く一般的価値観で管理する以上は、私も自分の価値観と権利を主張します。

そもそも、他人が自分の思惑通りに動くなどとは思い上がりにすぎませんし、例えそれが相手のための諫言や忠告であっても、自分の道を変えてまで準ずることはありません。なぜなら自分には自分の世界があります。それは自我です。自我を押し殺して準じていけばやがて破綻していき、多重人格の道を辿ることになります。

己が正義のことを言っていても、その正義は主観的なものにすぎません。その時点で狭窄的な正義で、二元論で考えれば悪を生みます。

誰にも責められたくなければ、正論で諫めればいいのですが、そんな正論に個性はなく、極めて一般論に落ち着くのは必然です。一般論はすなわち常識です。ということは、誰でも知って居て当たり前で面白みもない平坦な人生で、それは平凡で幸せなのかも知れませんが私にはまったく魅力を感じさせてくれません。

諫言は参考程度に聞きますが、おおむね想像から逸脱するような思考ではありませんので、聞くだけであって刺激にも糧にもなりません。

人に責められたり、怒られて育たざるをえない環境に居た人はわりとこうした固定観念に囚われていて、その自分が信じて居る観念に沿って生きて居れば他人に責められても、正論で反論することにより自我を保つことができるようです。

イリーガルに育ってきた私としては、受け入れがたいものがあります。

他人と言うものは無責任が基本です。それなのにいちいち一つ一つを聞いていたら息は詰まるし、自分自身の人生を見失います。

責任という言葉は、逃げ口上の一つです。いわゆる大義名分です。大人たるもの責任を全うするのが当たり前と肩肘張ってますが、じつはそれとて環境がそのように間接的に要求しているだけであって、そういった要求に対してばか正直に応えていると自分がなんなのかを見失うことになります。

打算だらけの人生はくそくらえです。私には私の道があります。それに付いてきたければ、仲間は多い方が楽しいですので一緒に事をなしとげましょう。付いてこれなければ応援してください。それが無理なら距離を置いてください。

孤高などというものではなく、自分と自分の世界観が大好きなのです。

これがモチベーションであり、自分の糧であり自分自信なのです。

興味があるのなら興味を示してください。
理解したいのならば理解してみてください。

世間との軋轢が怖いから、ぶつぶつ言いながらも今の環境に身を置いているだけということを知ってください。自分が居なくなっても本当に困る人など実はいないということを知ってください。実は管理をしたがる人というのは、管理をすることで相手にとって自分が必要な人間なんだということを意識的にせよ無意識的にせよ、刷り込ませようとしているのです。言葉を選ばずに言えば、自分の寂しさを紛らす道具にしているということです。
【2008/07/16 15:22】 | 携帯 | トラックバック(0) | コメント(0)
暑い
20080715211249

世の中、暑く感じるのはクーラーが効いてる場所が増えたからじゃないかな、というのを最近強く感じるようになりました。都会ではクーラーの排熱や、アスファルトからの反射熱などで他の要素も多く、結果的にヒートアイランドという言葉を生み出すほどの気象現象を引き起こしていますが、それだけではなくて「暑い」と感じる基準の体感温度が下がっているように思います。

クーラーにあたることなく、日陰で、風が通る場所であれば、普通に過ごせます。身体を動かしたら汗をかくのはあたりまえで、その汗をかくことで風が通る時に涼しく感じられます。地面が土であれば、なお良いです。

地球規模でみたら、温暖化は進んでいますが、その規模で考えるのであれば温暖化は順当な温暖化と言えるはずです。もともと地球の温度が一定ではないことは知られています。その過程でここ数千年は温暖傾向になっているだけで、確か二千年程前は弱氷河期だったはずです。その頃は、世界規模で温度が低めだったようですが、どういうわけか日本界隈は温暖だったようです。想像するに、海流やジェット気流の関係だとは思いますが、地球規模で考えてたかだか二千年でゴロゴロと気象は変わっているようです。

その辺のことを踏まえると、別段に人間ごときが石油資源を枯渇させるほどに使用したからとか、温暖化ガスを大量に排出したからとかフロンをばらまいたから、温暖化が始まったんだという視点に違和感を感じます。地球のためじゃなくて、商品を売るための方便にしか聞こえなくなります。消費電力が半分だとか、二酸化炭素排出量がどうのとか、一気にバカバカしくなります。実際にその機械の消費電力が半分になったところで、発電側では原子力がベース電力を確保し、それ以上の発電は火力発電を行っていますので、まるで無意味で、助かるのは電気代くらいです。それだって消費電力が半分になったという安心感からいつもより多く使ってしまうことは、ありそうなものです。ペットボトルのリサイクルが開始されてから、ペットボトルの出荷量が爆増したのと同様です。リサイクルという大義名分を持って、一気に増えたのです。実際にリサイクルされている数などは出荷量からみたら知れていますし、リサイクルという行程が入ることで逆に消費エネルギーの面からみると、恐らくはしてもしなくても一緒、という範囲の話になってしまいそうです。ていうか、社会全体で考
える H$I$&$7$F$b69:uE*$JJ}8~$X9T$C$F$7$^$&$N$O!"72=8?4M}$H$b8@$($k$N$+$b$7$l$^$;$s!#%P%V%k7P:Q$7$+$j9qL1G/6b@)EY$7$+$j!"BhFs<!@$3&Bg@o$7$+$j!#

閑話休題。

クーラーができてからは、どこもかしこもクーラーだらけになって、そうなってみてからようやくその排熱の深刻さがわかったものです。クルマも同様ですし、クルマのための道路も同様です。かくしてヒートアイランドなどという局地的気象変化をもたらすほどになったのは、環七雲や光化学スモッグなどの環境汚染の学習がなされていません。

アスファルトやコンクリートを纏った都会では普通に過ごすと熱中症へ至ります。冷えた屋内と熱された屋外を行き来していたら、自律神経がやられます。だからすぐに夏バテしますし、ちょっと気温が上がったら暑く感じてクーラーの設定温度を下げたりするわけです。

とかなんとか言っても暑いもんは暑いです。
そりゃ夏ですから仕方ありません。
汗をかいたら気持ち悪いですが、汗をきちんとかけないと詰まった汗腺から出る汗はドロリとした汚い汗になります。汗をかかない方が不健康で不潔になりやすいのです。
【2008/07/15 21:12】 | 携帯 | トラックバック(0) | コメント(0)
ばたばたと
20080704200232
間接的にではありますが、なにかとごたついて、ちょっと疲れました。基本的なことができない、あるいは知らないと厚顔無恥になっていくのはどうやら間違いなさそうです。そしてそこに見え隠れする劣等感。その劣等感を、相手に投影して攻撃する防御機制。あちこちが破綻している論理は、議論にならず小学生の言い合いのようですので仕事に於いては聞くだけ時間の無駄です。そんなこんなで六月終えて七月に入りました。今月を乗り切ったら八月の頭に少しお休みをいただくことになりました。この期間は死守しなければ。。とか言っていたら他の仕事が動き出しそうな気配で、戦々恐々です。

ところで、なんだかんだとやらなければならないことと、やりたいこととのバランスを取りながらなんとか進んでいると、ちょっとしたバランスを崩れが取り返しのつかないことになってしまいます。バランスを取り戻そうと、無理に動くと倒れます。

これは倒れるヤジロベエ自身が悪いのであって、誰にも責任はありません。寄ってたかって責めていれば自分は安穏としていられます。

バカバカしい。
これが世の中だと思うと、バカバカしさも増します。そういうもんだと自分に言い聞かせるのは、角を矯めて牛を殺すのと同じです。

技術の進歩は人間の退化を促す側面があります。だからといって、相対的基準で機能する感覚や感情といった部分まで退化してはいけません。

しかし目下の最大の困難は、この強烈な眠気。なんという睡魔の大群。

まずはこやつらを片付けねば。
【2008/07/04 20:02】 | 携帯 | トラックバック(0) | コメント(0)
情報量が少ないということは
20080630221031

情報量が少ないということは、コミュニケーションの場合は単純に誤解を生むだけで、情報量が多いのがあたり前になっている昨今ではむしろ悪いことのように捉えられがちです。情報量が多くて説明的になっているのがあたり前というわけで、かえって想像力が欠落しているような気もします。説明的なのは広告だけで結構です。その結果、芸術や音楽に説明を求める、説明を付けるという不思議なことを始めます。大衆的なものであれば、どんな人にでも理解できるようにと説明するのはありだと思いますが、芸術系は人にも依りますが基本的には自己満足の極みにあるものだと考えていますので、説明的になるのはその自己に対する言い訳の心理に見えます。

情報量を少なくする、というよりはむしろ自分の作品に対していちいち説明しないというわけです。自分のやったことをいちいち説明するというのは鼻白みます。

さて、説明しないで出すだけだと受け手の想像力が問われます。文章から作者の意図を読み取ったり、絵画から画家の気持ちを推し量ったり、写真から感情を受け取ったり、音楽から風景を観たりという想像力が問われます。問われなくても、もともと持っている力です。

要するに、受け手に想像力という名の力を使う負担を強いているわけですので、自動的にでも頭を使って考えないといけません。そうした負担を嫌って、想像力を必要としない「見たまま」「読んだまま」という「そのまま」が増えていき、テレビでも雑誌でも本でも映画でも、とにかく「わかりやすく」て「大衆ウケ」して「売れる」ものであればなんでもいいという雰囲気が蔓延しています。

そして日本では、多くの人が知っていることを知らないというのは恥ずかしい、という心理的圧力が働きやすいようで、右向け右であっという間に広がって、飽きる頃には次の「皆が知っていること」を用意されて、想像力を使うことなく時間を浪費しているような気がします。

真理は、説明をすればするほど安っぽく手垢にまみれて、汚らわしい物に成り下がっていくように思います。
【2008/06/30 22:10】 | 携帯 | トラックバック(0) | コメント(0)
喜老人


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Author:喜老人
アーティスト喜老人のブログです。自分のサイト宣伝用にやってます。どっちも充実よろしくね。音楽、絵画、写真、詩あるいは文章といった手段を模索しながら表現活動を行っています。
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